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ランキングが上がると、何というか、あたかも
鞭を打たれている馬になった!? かのように、
ブログ更新に気合いが入ってきますね(笑)。
我ながら単純な反応に驚いています(照笑)。
これからもよろしくお願いします!!!
ということで、前日に引き続き3日連続更新
<自分としては新記録!>です(笑)。
今日はさらに盛りだくさんですよ!!!!
『なんと、、リンカーンのゲティズバーグ演説は
「起承転結」の日本語的発想だった!!!!!』
というのは、私独自の見解で発見です。
他に誰もおっしゃっていない様ですが、
個人的には、とても面白い謎なのです。
いずれにしても、このスピーチにまつわる
謎や逸話は後を絶たない!
何しろ、リンカーンが実際に言った言葉すら、
誰も正確には知らないのです!
ここからが本当に前回からの続きですね(笑)。
リンカーンの前の人のスピーチは2時間近くに渡るという
とても長いものでした。その直後に登場したリンカーンは
逆に2分間と、あっという間に演説を終えてしまいました。
そうなるとは知らなかったのは、新聞記者達です。
そのつもりで最初から一文一句書き留めては
いなかったので、リンカーンが正確に何と言ったのか、
未来永劫に不明になってしまったようです。
(逆にAP社の記者一人だけは速記していた話も有名
ですが、記述内容に関しては不確かなものでした。)
ちなみに、2時間話した人物はEdward Everett氏で、
当時は無類の弁論家としても知られていた人物です。
このスピーチからさかのぼって15年くらい前までは、
ハーバード大学の学長も勤めています。
また、政治家としても長いキャリアの持ち主で、何と
あのペリー総監を日本に送った人物でもあるそうです。
参照はこちらを。
さて、ゲティズバーグの戦いは7月4日の建国記念日を
迎える前日の1863年7月3日まで、3日間激しい戦闘が
繰り広げられました。当時4500人しか住民がいなかった
田舎町に戦死体は7500人を越えたといわれています。
7月の熱い中、その死体とたくさんの馬の死臭が激しく、
その土地に埋葬することに決定します。
その時自らが土地を購入して国立墓地を作ることを
提案したDavid Willsという裕福な弁護士がいました。
そして彼は式典の組織委員長にもなります。
式典のメインゲストとして、このウィルズ弁護士が、
前述のエベレットに国立墓地設立の式典での
基調演説を依頼します。それが7月のこと。
トリビアとしても面白いと思うのは、この式典が
当初9月23日に行われる予定だったということです。
ところが、なんとエベレットが、2ヶ月間だけでは
スピーチが準備できないと回答したため、
11月19日に延期されたといいます。
結果的には、4ヶ月もかけて書き上げた大作が、
その2時間に渡る長い演説となったわけです。
さらに面白いのは、ウィルズがはじめは、リンカーンを
招待することは、考えてはいなかったようだということ。
実際ウィルズが、リンカーンに招待状を出したのは、
式典のわずか3週間前でした。
直前の招待だったので、リンカーンには
短いスピーチだけ頼みました。
ウィルズ直筆の招待状とこの話しのくだりが
Liberary of Congress (アメリカ議会図書館)の
ホームページで見れますよ。
参照はこちらを。
なにしろペンシルバニアの11月の下旬のことです。
当日は暗く寒い日だったといわれていますが、
底冷えするような感じだったのではないかと推測します。
この日悪い事にリンカーンは具合が悪く、
熱もあったといわれています。
この日の簡単な解説、エベレットの長いスピーチの後、
自分の番が来た時のことから、あの演説までを、
リンカーンになりきった役者が話しています。ご覧下さい。
実はこの俳優さんが、最後に読んだようなスピーチ
ではなく、当日のリンカーンは祈るような小声で
読み上げたというのが定説になっています。
ところがこれも謎で、真相はわかりません。
当時同席していたペンシルベニア州カーチン知事が、
「リンカーンはその時、聴衆が一瞬にして静まるくらい
大きな声を出して演説した」と伝えているからです。
さらに面白いのは、このスピーチは当日も
翌日もそれほど注目されなかったということ。
(New York Timesだけは高く評価していましたが)
少なくとも今日のように賞賛され始めたのは、
しばらくたってからのことで、実は当初は
リンカーン自身も、出来栄えがあまり気に入っては
いなかったとも伝えられています。
参照はこちら。
ただし、エベレットは直後、このリンカーンの
スピーチを「自分が2時間で言えなかった事を、
2分間で伝えていた」と賛辞し、リンカーンと手紙の
やり取りをしています。
こちらをご参照ください。
当時の演説は長いのが好まれていたようですが、
『スピーチは短い方がいい』という現在の常識は、
このエピソードから始まったかもしれませんね。
上のリンクにもあったように、リンカーン自身も
長い演説をすることで有名だったそうですから。
もしも、、、
リンカーンがエベレットと同じように
時間的余裕が与えられていたら、
そしてもしも、、、
ウィルズが短いスピーチを依頼していなければ、
あの演説は誕生していなかったわけです!
何が新しい発見につながるか、わからないもの
ですね。
ちなみに、エベレットは翌年(1964年)にはリンカーン
大統領再選に向けて、強力なサポーターとなります。
70歳という高齢にもかかわらず、全米各地で彼のために
応援演説をしてまわります。しかし、その疲れからか
肺炎にかかり、年が明けてすぐの1865年1月15日に
死去します。
ふーん。思わず溜息がでるような、運命的な縁が
ゲティズバーグで生まれてたのですね。
さて、リンカーンのゲティズバーグ演説の
さらなる謎に戻りますが、実は。。。
と思ったのですが、今日は長くなりすぎるので、
本日はここまでにします。はい、すいません。
「英語力アップ:スピーチの勧め4'''」という
タイトルが出来ると思ってませんでしたが、
とても面白いので、明日必ず続けます(笑)。
ぜひお楽しみに。また読みに来てくださいね。
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