松本英語と私のブログ記事
Title.
松本英語と私 16 英和は捨てろ!事件
Date. 2009.08.27 / Category.
松本英語と私
30年前に私が始めて「英語で考える」学習法に遭遇した
頃の思い出を綴っています。今回は授業開始早々に
あった1シーンを再現したいと思います。
こちらをクリックするとここまでの話が下につながります。
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「はい。辞書を机の上に出して!」
斉藤先生の独自のユーモアと話のテンポにつれられて
皆にこやかな雰囲気で、鞄や机の中から辞書を取出した。
私はというと、辞書を持っていなかった。
家にはあったが、そんな重いものを学校に持っていく
習慣はなかった。(勿論のことですが、当時電子辞書など
世の中にはありませんでした)
ふーん。さすがにみんな真面目だな。
やはり、学校には辞書を持ってくるものなんだ。
などと、一番後ろの席に座っていた私は、
皆が辞書を机の上に置くのを感心して見ていた。
斉藤先生は、ニコニコしながら教室を一周。
辞書を集めて教卓の上に積んでいった。
何をしているのだろうと思っていると、
おもむろに教室の窓をあけた。
そして、今となっては信じられないことをされた。
いわく、
「ここに集めたのは、英和辞典です。これからの、
みんなの英語学習には必要ないので、
英和辞典は捨てましょう。そして、これからは、
英々辞典を使うことを決心してください。よって、
捨ててあげしょう。」
そんなことを言った後、本当に集めた英和辞典を
窓から投げ捨てたのだった。
いや、本当に。
時々このことを私の「英語マスターセミナー」でも
話ているので、何度か話している内に、自分でも
本当にあった話なのか信じられなくなる時がある?
のだが、本当の話なのだ。
忘れもしない202号室。
すなわち2階の教室でだった。
当時2階には201号と202号の2教室があり、
201号の窓側にはマヨネーズのキューピー社が、
202号の窓側には空き地があった。
すなわち、上から空き地に生徒の英和辞典を落として
捨てたのだった。バラバラバラと、音をたてて落ちて
いく辞書。エー!と生徒の叫び声と混ざりあって
結構面白いシーンだな。と、一番後ろに辞書も
持たずにいた私は、この光景をちょっと客観的に
見ていた。
斉藤先生独自のエンターテインメント性で、
笑いが耐えないような授業だったから、
問題にならなかったのだろう。
ちなみに、授業後には皆、隣の空き地に入って
捨てられた辞書を拾いに行っていた。
実はこの4年後くらいに私も斉藤先生の真似を
ちょっとしてみた。受験講習に来ていた生徒の
辞書を没収して、まずは外に投げる振りをした。
(その時には隣が駐車場になっていたので、
捨てることは実質的にも出来なかった)。
投げはしなかったが、本当に没収して生徒には
返さなかった。講習が終わったら返してあげる
つもりでいたが、一人だけ本当に私に泣きついて
きた子がいた。
「あれは僕の辞書だから、返して欲しい」
彼の辞書は英英和辞典だった。最近は見かけないが、
わざわざ英語の定義のあとに和訳が載っている
もので、これも結局、英和辞典と同じ弊害があると
当時説明していた。
「英々辞書を早く買いなさい」と私。
「いやあれは英々です。買うお金もありません。
そんなの先生、ひどいじゃありませんか」と
訴えられた私は、「じゃーこれを使いなさい」と、
スペアに持っていた私の英々を彼にあげた。
断固として、私も彼の辞書は返さなかった。
納得いかなかったのだろう。
彼は次の日から来なくなった。
いつか戻ってきたら返してあげようと、しばらく
私の机の上には彼の英英和辞典を置いていたが。
今思えば、本当に熱すぎるくらい熱かった。
そんなことが許されたのは、斉藤先生の場合は
ユーモアと人間的なあったかみがあったから。
そして私はただ若い勢いがあったからだった。
さて話を戻すと、春期講習開始早々、こんなクラスでの
刺激的なデモンストレーションも受けながら、
少しづつ自分なりに英々辞典の必要性と効果について
理解をしていった。
しかし、自分自身で英々辞典の素晴らしさを
実感するのは、まだまだ後のことだった。
春期講習終了直前まで、私は英々辞典を買わず、
英和辞典も捨てられては困る(笑)と辞書は何も
持参せずにいたからだった。
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春期講習での思い出話はまだまだ続きます(笑)。
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Title.
松本英語と私 15 春期講習開始
Date. 2009.08.08 / Category.
松本英語と私
"Mr.Forest, Mr. Hayashi?"
"Present!"
"Ms. Middle Rice Field, Ms. Tanaka?"
"Here!"
こんな感じで授業は始まった。
(今日は「松本英語と私」。ここまでのお話は
こちらをクリックしていただくとつながります。)
出席の点呼が英語でされたのだが、
面白おかしく、生徒の名前を直訳していた
講師は斉藤文一先生といった。
オリテンで司会をしていた先生だ。
四角い黒縁メガネをかけていて、
とても声が大きい。真面目な顔をしながら、
ハチャメチャな冗談をいい、生徒を笑わせる。
どの先生も出席は英語でとるから、
英語で答えるように説明してくれた。
"Yes"と答えるより、"Here"とか"Present"と答える
ほうが自然な英語なので使うようにと。
緊張する生徒達をなごませようと、冒頭の
名前直訳点呼となったわけだ。
というか、あとで分かったが、英語の名前をつけるのは
斉藤先生の18番だった。直訳だけでなく、
生徒の特徴をとらえて面白い英語のアダ名まで
つけてくれていた。
"Mr. Crossing Stones, Mr. Ishiwata?" 「はい」
石渡を"Mr. Crossing Stones" と呼ばれていたかは
実は定かではない。何しろ英語が分からなかったから。
でもハッキリ覚えているのは、何と呼ばれようと、
私は「はい」と日本語で答えたことだ。
なにしろ講習中の3週間ずっとそうしていたから。
他の先生は英訳した名前で点呼はしなかったが、
誰もがMr.とかMs.で名前を読み上げる。
"Mr. Hayashi?" "Present!"
"Ms. Tanaka?" "Here!"
"Mr. Ishiwata?" 「はい」
絶対に英語なんかで応答しないと決めていた。
イエスくらいなら言ってもいいかなとも思ったが、
"Present"とか"Here"なんて英語っぽすぎて、
自分の中で拒絶反応がおきていた。
気がつけば、「はい」と答えているのは私だけ。
最初は注意されたが、無視して続けていると
どの講師からも注意されなくなった。
恐らく、そんな心がけの悪い生徒を構う必要はないと、
講師から見放されたのだろう。
でも周りは素直な生徒ばかり。
"Present!" "Here!" "Here!" "Present!"
「何て奴らだ」と思った。「日本人の魂は無いのか!」
と、私だけムキになって声を高めて答えた。
みんな、日本語で答えようよ!という気持ちで、、、
教室の一番後ろから大きな声で、、、、
"Mr. Ishiwata?" 「ハァイ!!」
日本人なのにネイティブでかぶれはよしてくれと
願いながら。
特に"Here"は耳障りだった。
あの巻き舌っぽいRの音が、日本人から聞こえると、
耳を覆いたくなった。
英語に対する完璧な拒絶反応が、つまらないところで
起きてしまっていたわけだ。
でも、授業は面白かった。半分英語、半分日本語で
行われていたのだが、講師陣の日本語の話には
とても興味が持てた。
冒頭の斉藤先生は、ジョークの連発でたくさん
笑わせてもらった。でもジョーク以外で、
ハッキリと覚えているエピソードが初回の授業であった。
それは、「英和辞典を捨てる」デモンストレーション。
次回、今ではありえないこのクラスの様子を再現します。
乞うご期待!
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100日連続更新と体重69キロまで、あと5日です。
健康改善開始27日目、自己努力評価は〇ーお酒
今晩はお好み焼きを食べに行きましょうと
スタッフが誘ってくれたので参加。
ちょっと食べすぎて帰宅すると、家に宿泊中のラマン
シュレンマーさんを囲んで鍋とお寿司でまた会食。
先ほど朝2時まで食べていました!!
結構いろいろな話ができたので、今なら
オスカーシュレンマー作品の通訳もドンと来いですが、
遅いかも。(笑)体重は72キロに逆戻り!!
有難うございました!
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Title.
松本英語と私 14 記憶に残ったメッセージ
Date. 2009.07.25 / Category.
松本英語と私
30年前の松本亨高等英語専門学校卒業生のKさんから、
「松本英語と私」の記事を楽しみに待っていますと
コメントいただきました。ありがとうございます。
私の先輩にあたる女性の方ですが、
確か大変優秀な生徒さんだったとの噂を
当時の先生方より、聞いていたのを覚えています。
ということで、本日は久しぶりになりますが、
7月2日記事からの続きを書きます。
少し長くなりますが、いよいよ初めて参加した
春期大学受験講習オリエンテーションの思い出を語る
最終回となります。最後まで読んでくださいね。
こちらをまずクリックしていただくと、このカテゴリー内の
前の記事を全てつなげてから、読むことができます。
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愛とは決して後悔しないこと!
"Miss Mori, love means never having to say
you're sorry!"
意思あるところに道あり!
"Miss Mori, where there is a will, there is a way!"
春期受講講習のオリテンは、
受講生の大合唱で終わった。
「愛とは決して後悔しないこと!」とミス森が叫ぶと、
受講生が、"Miss Mori, love means......"と
その原文の英語を合唱して返答したのだ。
もちろん、当時の私は英文はおろか、
何のことだかわからずにいたのだが。
「意思あるところに道あり」は格言ということは
知っていたので、そんなものなのかな?と
思いつつも、何度か音を真似てリピートした。
あとで、「あれはミス森の思い入れがある映画
「ある愛の詩」の一節だよ」と、誰かから聞いた。
実は講習のオリテンだけではなく、
この頃のミス森の授業はいつもこの2つのフレーズを
合唱させて終わっていたのだ。
(さらに2年後からは、オバマを予言させるような、
"Yes, we can and we will try!"というフレーズを
3回合唱させるパターンに変更になりましたが(笑))
さて、話をオリテンに戻すと、
その時ミス森が言われたこと2つを
ハッキリと覚えている。
ひとつは、講師が教室に入ってくるときは、
拍手で迎えるということ。
実際に何度かミス森は、教室を一旦出てから
入室することを繰り返して、
私達に拍手の練習をさせた。
そして、大きな拍手で講師を迎えるのは、
自分達(受講生)のためだと説明されていた。
どんな状況でもベストを尽くすことをするけれども、
講師も人間。生徒達がやる気を見せれば、
講師も燃える。そして、授業の結果も遥かに期待を
超えたものになる。お互いに真剣勝負。
ひとつひとつの授業を悔いのないものにする。
そういう決心で授業に挑むためにも、
まずは大きな拍手をしなさいと。
このことにも絡めて「愛とは決して後悔しないこと」
の英文も声に出してリピート練習させられた。
オリテンが始まった時、前の方に陣取っていた
ベテラン風受講生達があたかもスターを迎えるような
大きな拍手をしていた理由が、ここでわかった。
そして、もう一つ言われた事は
教室の席により、実は料金が違うということ。
簡単にいえば、前の席を取りなさいということだった。
理由は後ろの方に座っている人と、
前の方に座っている人では、緊張感が違う、
結果、席によって学べる量が変わってくるということ。
同じ授業料を払っているのに、なぜ後ろに座るのか?
まだ前に空席もあると。
前の方は、映画館なら指定席、別料金払っても
いいくらいの席なんですよ!!!!
と、
おっしゃっているのを、、、
私は、最後部の席で聞いていたのだ(笑)。
なるほど!と思いつつも、実は講習中の3週間は、
最後部の席が私の指定席で終わった(笑)。
授業が始まると、確かに前にいたほうが
学べるのだろうなーとは見ていて思いながら。
なにしろ教室前方に座っている受講生は、
バシバシ講師からあてられたり、ミス森の授業では、
バシバシ顔を叩かれていましたのだから(笑)。
それでも、私が最後部に居座ったのは、
他の生徒の足手まといになるくらい
あまりに英語ができないことを危惧したことと、
あまりに周りが英語ができるので、
自分の中で勝手に壁を作ってしまったからだった。
出来なくても当たり前、だから授業料を払っているんだ、
と開き直り、また素直に助言を聞き入れられるように
なったのは、ほぼ講習も終わりかけた時だった。
今でも忘れられない、ある運命的、いや天命的、
事件が起きたからなのだが、このことはまたのちのち(笑)。
=======================
さて次回からは、いよいよ(やっと?)この講習授業での
思い出を書いていくこととします。
ところで、最後にミス森のビンタですが、
ご説明したように、決して暴力的なものではありません
でしたので、誤解のないようにお願いします。
叩かれた受講生は怒るどころか、
"Thank you, Miss Mori."と感謝していたくらいです。
前回は吉本のように、エンターテイメント性があったと
書きましたが、ある意味、猪木の闘魂ビンタのような
役割をしていたのですかね。パシンと時々いい音を
たてていました(笑)。
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健康改善開始13日目、自己努力評価は◎
体重72,2キロ(2,2kg減)
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Title.
松本英語と私 13 真打登場
Date. 2009.07.02 / Category.
松本英語と私
現在右欄にあるCategory記事を日替りで書いています。
本日のCategory/カテゴリーは「松本英語と私」です。
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今回は、始めて参加した春期大学受験講習
オリエンテーションの続き(6回目)ですが、お待たせしました。
直接的には6月6日記事からの続きです(笑)。
=====================
気がつけばビンタの嵐!!
でもぶたれて笑ってる!!
一層大きな拍手に迎えられて登場した講師は、
小柄な女性、どの講師よりも体は小さかったが
インパクトは誰よりもあったのです。
話し始めた途端、生徒のほうに歩み寄り、
何か言って答えを求めました。
そして答えを聞くか聞かないかのうちに
生徒のホッペをパシッ!とビンタしたのです!
さらに、次次と前に座っていた生徒達の元に行き、
何か聞くと、ビシッ、バシッとビンタして廻っったのです!!
でもその場の雰囲気を、皆さんが勘違いしないように
伝えるのは難しいことです。なにしろ、ビンタしながら、
この先生も生徒達もケラケラ笑っている感じでしたから。
今風にいうと、吉本喜劇風のノリでしょうか?
でも、それともちょっと違うかもしれません。
まず違うのは、英語でのやりとりがありました。
当時私には何を話しているのか、
何で生徒はぶたれているのか、わかりませんでしたが。
また、質問に答えようとする生徒は、
おふざけでなく、真剣に答えようとしていた点も、
吉本とは違うでしょう。あくまで教育の現場での
出来事でした。
いずれにしても、並居る強力講師陣の中でも
群を抜くオーラを発していたのは確かです。
森喬伸先生の実妹で、当時はミス森という名前で
授業されていました。しかし、その後80年代に
戸塚ヨットスクールの暴力問題が起きた時は、
「私の本当の兄は森喬伸でなく、戸塚宏なの!」
と更に生徒を怖がらせるような自己紹介をして、
楽しんでらっしゃったのも懐かしく思い出されます(笑)。
とにかくユーモアたっぷりで、迫力満点。
ビンタといっても、暴力的ではありませんでした。
82年くらいには、東京テレビ系列で、たしか
タイトル「英語は愛のビンタで!」でミス森の
人間像を追うドキュメンタリー番組も放送されました。
真面目な話、時代の流れと共に先生のビンタは
いつしか消えたのですが、つい1年半前に、
フィニックス英語学院を辞められるまで独自の
迫力あふれたユーモア?とパワーで授業されて
いました。
話は戻しますが、このオリエンテーションの時、
私は実は比較的落ち着いて状況を見ていました。
凄い元気な先生が中心になって教えているんだな、
いいことかも、なんて第3者的に(笑)。
でも、おそらく落ち着いていれたのは、
私が一番後ろの席にいたからかもしれません。
先生がビンタしまわっていたのは、
教室の前から中ごろまでの列だけだったのです(笑)。
そして後ろまでは先生が来なかった、その理由を
この後すぐ知る事になります。
この時の先生の言われたメッセージが、
今でもハッキリと思い出せるものなのですが、
それは、、、、次回にまわします(笑)。
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Title.
運命のいたずら? 感慨深い1日
Date. 2009.06.30 / Category.
Diary松本英語と私
偶然の一致とはいえ、
人生には不思議な巡り合わせ、
時には、怖いくらいに運命的なことを
感じる時があります。
まさに、今日がそのような日でした。
まず、30年前のこの日、
すなわち1979年6月30日は、
私にとって一生忘れられない日です。
それは、自分の生き方を決定した日だからです。
当時、私は浪人生でした。
この日、松本亨高等英語専門学校の理事長であった
森喬伸先生と、初めて個人的にお会いする約束を
いれてあったのです。
ところが結論だけいうと、会えなかったのです。
学校のロビーで理事長室の森先生から直接、
電話越しに、どうしても会えない理由が
出来たと告げられて、、、
何か大変な事が起きてる気配が、、、
この日に松本亨博士は天国に召されたのでした。
そして、実はこの日の、この事件があって、
自分の中で、決意したことがあったのです。
誰にも恥ずかしくて言えませんでしたが。
無茶苦茶な、とても身分不相応なことでしたから。
でも、ハッキリと心には決めました。
それは、松本先生と森先生の意志を
将来継承できるような人間になるんだと。
今後具体的な経緯を含め、
当ブログ「松本英語と私」に詳しく書きますが、
まだ松本のナイトスクールに入学して2ヶ月しか経たず
英語も全く出来なかった私でした。
それでも、何かを感じたのです。
その後私が昼間部に入学するまでの約半年間、
月に2回くらいの割合で、森先生にはアポイントメントを
とらせていただき、自分の勉強具合をチェックして
いただきました。いわば無料で個人レッスンを受けて
いたのですが、そんな図々しい生徒は後にも先にも
私しかいなかったようです(笑)。
ただし、森先生が極めてご多忙だった時代です。
アポの時間には会ってもらったことがなく、
2-3時間ロビーで待たされるのは当り前でしたが(笑)。
それでも、先生が私とのアポをキャンセルされたのは、
あの6月30日以外に1度もありませんでした。
そして、その3年後の1982年6月30日は、
初めて森先生と松本先生のお墓参りに行かせて
いただきました。この時私は21歳。
松本で講師として教え始めた年でした。
(その時の写真です。森先生(右)の隣は私です!)

その後何年も、ご命日には朝5時に森先生のご自宅
に伺い、松本先生が祭られている静岡県の富士霊園に
ご一緒させていただきました。
松本先生の死後30年経った今日は、
私が、フィニックス(旧松本英語専門学校)から、
カプランジャパンに移った加藤先生と大島先生を
引き連れて墓参させていただきました。

また、本日は霊園に行く前に、カプランジャパンの
本社㈱栄光の社員会がありました。これまた何の
巡り会わせか、㈱栄光は今年30年目を迎えました。
大きな節目を迎え、創立当時から今日の㈱栄光を
作り上げた役員の方々の退任もありました。
社員会の主な内容は、これまでの30年間を振り返り、
これからの未来を考えるものでした。
私にとっても、この30年間は特別の意味を持った
期間です。㈱栄光の歩み、歴史が、私の中では
自分自身の人生と見事に重なり合いました。
いろいろに想いを馳せながら、今後一体、
私に何ができるのか、私が何をすべきなのかを
深く考えさせられた1日でした。
最後に、軽い話とはいえ、もうひとつ偶然が。。。
実は、今日のこのブログ記事は私が書いた
100回目の記事となりました。
実は、つい3日前に気づいたのです(笑)。
「記事の数が97に達したのか、、、
おい、待てよ、という事は毎日更新すれば、
松本先生のご命日に100回目の記事になる!」
しかもです、皆さん、私のブログ最初の記事は
昨年の7月1日でした。丁度、松本先生の30回忌の
お墓参りをした翌日のことです!
何か計ったかのようにブログ開設、丸1周年を迎えた
今日に100回目の記事です!しかも松本先生の
ご命日に!!そしてそれが偶然出来たのも、
今日で56日連続更新ができたからです。
そして今チェックしたところ、
毎日更新を始めた日にも驚きました。
なんと、なぜか5月6日に始まったからです!!!
はい、気がつきました?
5月6日から始まり、5・6・日連続更新です(笑)!
何か、数字的にも運命のいたずらが
過ぎませんか!!!(笑)ちょっと、怖いです(笑)。
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