松本英語と私のブログ記事
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Title.
フィニックス東京松本英語学院
Date. 2008.11.19 / Category.
Diary松本英語と私
全く予想だにしていなかった事に追われた
1週間となりました。
私の母校であり、職場としても
長年に渡りお世話になった
フィニックス東京松本英語学院。
学院長である森喬伸先生の事務所に一人よばれ、
「学院を閉鎖せざるを得ない」と告げられた。
それが10日前の11月8日土曜日夜8時過ぎ。
学院の今年度赤字分は、
先生個人でも努力して補ってきたし
今後もそのつもりだったとのこと。
実のところ先月までは、
特に心配する必要はなかったが、
先々月襲った米国での金融危機の余波を直接うけ、
個人として工面することが予定できたお金が
不可能となったとのこと。
「これ以上学院を継続すると、
生徒の未受講分受講料の返金のめども
一切たたなくなる、そうなることと、
生徒へ何の連絡もなく、
突然スクールの鍵を閉めてしまうようなことだけは
絶対に避けなければいけない。
今なら時間の猶予さえもらえれば、
私が少しずつ返金をしていける。
学院は現在1週間の秋休み中だが、
休み明けにあたる来週の土曜日からは
授業を再開しないことにした。
残念だが、学院自体も閉鎖せざるを得ない。」
「君に連絡しようと思って何度か携帯を手にしては、
今日の今日まで、まさに今日の午後まで、
電話をかけるのをためらっていた。
君も新しい学校をつくっていて大変だろうし、
負担はかけたくないからな。
でも、石渡君なら、君と僕の今までの関係を思うと、
話くらいは聞いてくれるかと、
思い切って電話のボタンを押した。
君に話を聞いてもらうことだけでも、
自分の考えが何か整理され、
気持ちも少し楽になるような、
そんな気がしたから。
特に何もしてくれなくていいんだ。なので、
僕の話をどうか、余り負担に思わずに、
聞いてくれると助かる。」
その後、明朝の5時すぎまで
いろいろとお話を伺いました。
そして、自分なりの考えをまとめるべく戻りました。
そしてその日早速、
カプランの内部関係者に
急遽連絡を取りました。
まずは、一番の被害者である受講生を
優先して考慮したいこと、
そしてカプランジャパンで
フィニックス生の受講を継続させる方法。
しかも、フィニックス生には
入学金や受講料を一切追加させることなく、
カプランジャパンが未受講分を無償で
授業の提供をできる方法を見出したいこと。
ただしこのことで、万が一にも
カプランジャパンの経営そのものを
脅かすことにならないように、
また同時に、現在通学中のカプラン生への
弊害などが間違ってもおこらないように考慮し、
協力を仰ぎたいこと。
さいわいなことに、
フィニックスとカプランジャパンの両スクールの
教育哲学や受講生の質も相違がなく、
お互い受け入れやすいであろうことも
大前提としてありました。
また、それぞれの授業内容やシステムは、
もともと私の責任のもと作り上げたもののため、
自信を持って移行プランを出すことができました。
とはいっても、本社はじめ関係者の方の
協力や理解がなくては不可能なこと。
有難いことに相談にのってくれた全員が、
熱い教育信念のもと全力で問題解決に協力してくれました。
本当に心ある人々のお知恵とご尽力をいただけた結果、限りのある時間の中で、よりよい解決法にたどりつけることができたと思います。
11月15日と16日の土曜日と日曜日には、カプラン説明会をカプラン表参道校にて開きました。
説明会に参加してくれた
約100名のフィニックス生は、
全く突然の知らせにも関わらず、
冷静かつ真摯な態度で
カプランの説明を聞いてくれました。
今週土曜日11月22日の18時より表参道校にて、
最後の全体説明会を開く予定ですが、
すでに30名以上の方々が
11月24日月曜日からスタートする
カプランクラスに申し込んでくれました。
現在フィニックスでは毎日、
単位移行の手続きが進行中です。
日本人講師として最後までフィニックスに残った
加藤先生と中島先生は、
無報酬で生徒ひとりひとりと面談してくれています。
週末の説明会で思わず話した言葉が、
"Yes, we can, and we will try!"
これは、オバマ米国大統領が言った言葉ではありません。
ひとつの人生哲学としてフィニックスで、
またそのずっと昔の松本亨高等英語専門学校で
私自身も生徒の時代から、
何度も復唱させられてきた言葉です。
偶然、オバマ大統領の言葉と酷似しているので、
『苦難の時こそ、希望を持ち、明るい将来にしていこう』
というオバマ大統領のスピーチも
説明会では引用させてもらいました。
講師、スタッフ、関係者一同とのさらなる協力のもと、カプランでの受講継続を決意したフィニックス生でだけでなく、カプランでの現受講生にとっても、カプランジャパンにとってもこれから、より良い結果を生み出せるようにしていく決心でスクール運営をしていく所存です。
最後になりますが、
フィニックス東京松本英語学院の松本は、
「英語で考える」教授法を唱えた
故松本亨博士のことです。
偶然、博士の著書を読み、
私が松本亨博士の存在自体を知ったのが
今から29年と半年前であり、
先生の他界した年でもありました。
全く英語など出来なかった私が、
今日このような仕事にたずさわって入られるのは、
松本亨博士の教え、その全てをスクールとして具現化された
当時松本亨高等英語専門学校理事長で、
現フィニックス東京松本英語学院長の森喬伸先生との出逢い、
そして、森先生のつくられたスクールとの
運命的な出逢いがあったからです。
そのスクールが、森先生ご自身から、
閉鎖することとなったと聞いたとき、
私の中で、過去約30年間の記憶が
走馬燈のように駆けめぐりました。
今後は、その思い出をこのブログで少しずつ、
語っていこうかと思います。
『松本英語と私』というタイトルで。。。
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Title.
松本英語と私 1 出逢い
Date. 2008.12.05 / Category.
松本英語と私
前回にお約束したとおり、
『松本英語と私』を書き始めます。
まずあらかじめお伝えしたいのは、
このタイトルは、ごく自然に
すぐ頭に浮かんだものだということです。
そのくらい『松本英語』というフレーズは
当時の世間にも、そして今日にいたるまでの
私にも強い印象を与えているものです。
しかし、
このタイトルが浮かんだあとになってから
気づいたのですが、偶然にも
松本亨先生の名著『英語と私』と
全くかぶってしまいました。
とても恐れ多いことなのですが、
あえてこのすぐに頭に浮かんだタイトルを使い
思い出を綴っていくつもりです。
それは、『松本英語』との出会いから得ることの出来た、
私の貴重な体験に感謝を込める純粋な気持ちからだと、
ご理解いただければさいわいです。
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さて本題ですが、『松本英語』との出会いは、
遡ること約30年前の1979年2月末になります。
受験した大学を全て落ち、高校卒業を目前としていた私は、
浪人後の合格を目指して最適な学習法を探していました。
正確に言えば、受験した大学のうち
最後となる大学の合格発表日でした。
その大学での不合格を確認をし、
全ての大学に落ちたその日、その足で、
今は無き、渋谷の東急文化会館内にあった
三省堂書店に立ち寄り、学習法を探していたのです。
特に英語の学習法に関しては2つの理由から
こだわりがあり、悩み、暗中模索していました。
ひとつは、私の一番弱い科目だったので、
他の受験者レベルに追いつくのは普通の方法では
到底無理だと感じていたからです。
そしてもうひとつは、
受験勉強のための勉強ではなく、
折角1年間も集中して学べる時間がもてるのだから
将来につながる勉強期間にしたいと感じていたからです。
受験は私立だけとし、
受験科目を国社英の3科目に絞りました。
例えば、社会は興味があった日本史と決めて、
年号等だけを覚えていく勉強ではなく、
歴史小説など幅広く多読して日本の歴史を
自分なりに深めて学習していくことに決めていました。
英語の場合も、合格を目指すものの、
将来役に立つ英語力をつけることを同時にすると
気持ちだけは固まっていました。
ところが、
いわゆる受験英語に特化した学習だけでは、
力がつかないことはハッキリと感じていましたが、
どうすれば本当に力がつくのかが、
全くわからなかったのです。
そんな訳で、書店の英語コーナーにまわり、
いろいろな本のタイトルを熟視していると、
何やら真っ赤な本が目に入ってきました。
タイトルは『英語で考えるには』とあります。
興味を持って取り出し表紙を見ると、
脳に英語が浮かび出しているイラスト。
それが、とても新鮮に感じられました。
早速前書きを読むと、
著者の英語にかける熱いメッセージが語られてあり、
読んでいてワクワクされるものでした。
まさに運命の出会いだったのでしょう。
当時でもたしか1,500円と高かったので、
その日持ち合わせていたお金では、
他の本が買えなくなると、一瞬悩みましたが、
思い切ってこの本だけ購入し帰宅しました。
それが私の人生を変えることになるとは思いもせず。。。
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Title.
松本英語と私 2 英語で考える
Date. 2008.12.07 / Category.
松本英語と私
『英語で考えるには』を購入したのは、
その本を読めば、『英語で考える』ようになると
単純に期待したからでした。
正確に言えば、その時点では
『英語で考える』という意味は、勿論分かりませんでした。
ただ、演習問題がたくさん含まれているので、
この一冊を学習することで、
すごく英語が出来るようになる気がしたからです。
家に着くと早速問題にとりかかりました。
そして、すぐに自分のレベルでは全く歯が立たない。。。
というより、何のことかわからない。。。
ということで、演習は飛ばし、日本語部分だけ
いっきに読み終わりました。
英語部分は理解できなかったものの、
著者である松本亨という先生の
英語教育への熱い情熱と信念は
強く印象に残りました。
そして松本亨先生というのは、
とてつもない英語力の持ち主で
英語教育会で畏敬される存在であること。
またその6年前までNHKラジオ英会話という番組を
22年間もの長い期間担当していたこと。
そのため一般学習者にも人気絶大の先生で
あったことなどをはじめて知りました。
しかし、巻末の著者略歴にあった、
『現松本亨高等英語専門学校学長』を
私は『専門学校』部分を読み落として
うかつにも『高等学校』だと感違いをしました。
『ふーん。今は高校の校長先生しているんだ。
こんな先生のいる高校に通えたら
良かったかもしれないけど、
もう高校卒業するし、遅かったな。』
と思って、本を閉じたのを良く覚えています。
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Title.
松本英語と私 3 再会
Date. 2008.12.14 / Category.
松本英語と私
「英語で考えるには」は、演習中心の本でした。
とっても刺激を受けたものの、
演習部分は全くできず、
結局翌日にまた、
違う本を探しに書店に向かいました。
今度はとりあえず、予備校選択をする際
参考になる、受験雑誌を数冊購入して
帰宅しました。
まずは、どこかよさそうな予備校の
春期講習を受けてみて、
1年間の通学先を決めようと
考えていました。
雑誌には、多くの予備校の情報や
広告が載っていました。
ペラペラとページをめくっていると、
何やらひとつ非常に変わった広告が
目に入いってきました。
それは、虫眼鏡を使わないと読めないような、
細かい字でぎっしり詰まった広告でした。
「春期大学受験講習3週間」とある
表題のあとは、いかに従来の受験英語学習では、
英語力が身につかないか、そして、本来は
どう学習すべきか、が熱くい口調で説明されていて、
広告全面文字だけで埋め尽くされているものでした。
一体全体、どこの学校だろうと見ると、
「松本亨高等英語専門学校」とあります。
「松本亨?高等英語専門学校?」
思わず前日手にした、「英語で考えるには」を開き、
著者の紹介を読み返しました。
「松本亨高等英語専門学校!」ピッタシ合致です!
『そうか、高校でなくて、専門学校だったんだ。
そして、大学受験講習を開催していたんだ。
そうか。そうなんだ!』
これはパンフを取り寄せねば、
と早速電話してみました。
すると、少し年配の女性の声で
「うちは、パンフを送付していません。
来校してくれた人に説明を聞いてもらったあと、
500円で売っています。送ってもらおうなんて、
ご自分で通うかもしれないんですからね。
ご自分の目で確かめに来てくださいね。カシャ!」
と何やら一方的に電話を切られてしまったのです。
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Title.
松本英語と私 4 誤った選択
Date. 2009.02.04 / Category.
松本英語と私
更新途絶えていましたが、
前回12月14日から引き続きです。。。
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親切な電話応対とはかけ離れていましたが、
自分の目で確かめる必要があるのは、
もっともだと思いパンフを取りに行く事に
決めました。
実は当時もう1校、英語を専門にしている
予備校のパンフも電話で取り寄せようと
考えていましたが、このことで、こちらも
実際にパンフを取りに行く事に決めました。
当時出来てからまもない代々木にあった
TOEFL専門予備校で少人数指導、
英語の実力を上げて特にICUや上智に合格者を
多く出しているとのうたい文句でした。
まずはこちらの予備校に行くと、
雑居ビルの中にありましたが、きれいで
整頓されている感がありました。
カラー写真が入ったきれいなパンフを
無料でくれましたが、特に職員からの説明は
ありませんでした。
私の方から少し質問して帰りましたが、
特に強い印象は残りませんでした。
一般的な予備校と違い洗練されていて、
しっかりとした教育はしている印象を
受けましたが、果たして自分が通学して
英語力が伸びるのかが、想像できませんでした。
さて、松本亨高等英語専門学校にパンフを取りに
行ったのは別の日でしたが、良く覚えています。
高校卒業式の日だったからです。
今は無き(2002年に閉校された)都立千歳高校の
卒業生なのですが、卒業式後夕方から渋谷で
クラスお別れ会が行われることになっていました。
松本は渋谷にあったので、お別れ会に参加する前に
パンフを取りに行くことにした訳です。
これが、実は間違った選択だと気づいたのは
後の祭りでした。でも今思えばこの日を選んだのも
やはり何かの縁だったかと。。。
(次回に続けます)
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