英語上達への秘訣のブログ記事
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英語をモノにする心構え52(お金?本気?私編)
Date. 2011.07.27 / Category.
英語をモノにする心構え英語上達への秘訣
人生って、何が幸いするか、わかりませんよね。
19歳の時、松本の昼間部ではなく、留学を選択していたら、どうなっていたでしょう。父親の資金が途中でとだえたことで、大学を卒業出来ずに、留学を終えていたに違いありません。
21歳になって、やっと留学して大学生になれるかと思ったら、それも出来ませんでした。結局その後、留学が叶い、晴れて大学1年生になった時は、すでに私は26歳になっていました。しかし、それも私には幸運でした。
自分の生きる道と言ったら、恰好つけているようですが、ハッキリと将来を見据えた上で、留学もできたのです。留学に対しての本気度も全く違いました。そして自分のキャリアも、早くから構築できたのです。
さて、話を少し戻します。
8月から留学をするつもりだったのに、親の会社が倒産したのは6月くらいだったかと記憶しています。
ジタバタしても、はじまりません。じっくりと腰を据えて、留学までの設計をし直すことにしました。
その話に入る前に、実は、もうひとつ背景を説明しなくてはいけません。
私はこの時すでに、松本で働いていたのです。卒業式の次の日から、森先生にお願いして、毎日フルタイムで仕事をさせてもらっていました。働いていたと言っても、無償のボランティアとして、学校の清掃や、事務的なお手伝いをしていたのです。
当初は、3月から留学まで5か月間だけのつもりでしたが、ボランティアとして働くことを希望しました。理由は3つです。
ひとつは、単純に学校への愛着を感じていたからでした。卒業したから、もう行かないというのは、とても寂しく思えたのと、英語だけの環境が好きだったからです。
2番目の理由は、少し長くなりますが、一種の憧れです。
何に憧れていたかというと、森先生の昔話でした。松本亨博士の弟子として、無償で働いていた頃の話とか、他の数々の人達も、ボランティアで貢献して、松本亨英語研究会や、学校を立ち上げた話を聞いていたのです。
なかでも、森先生が松本博士のご自宅のトイレを掃除した、エピソードは強烈でした。当時博士のご自宅には、教材出版社関係の方の出入りが多かったそうです。
森先生が掃除を終えたトイレを見て、松本博士に「このトイレを舐められるか」と聞かれたとか。ちなみに、そのトイレは和式で、周りは板だったそうです。
それから、舐めてもいいくらいに綺麗にトイレを掃除するようにしたら、「舐められるか」とは言われなくなったそうです。どんな仕事に対しても、必要な姿勢を教わったという、ひとつのエピソードでしたが、こんな話にも、私は一種の憧れを感じてしまったのです。
だから、毎日率先して、学校のトイレ掃除もさせてもらいました。校舎は7階建てで、各階にトイレがあったので、結構大変でしたが、つらくはなかったです。(余計な話ですが、男性トイレにガムや痰が、吐き捨ててあるのは困るものです。男性の方絶対にやめましょうね)
ともあれ、2番目の理由は、自分を育ててくれた学校に、少しだけ恩返しをしながら、自分の尊敬する先生方やスタッフの方達から、物事に対しての姿勢を学ぶことに、一種の憧れを感じたからでした。
そして、3番目の理由は、将来のキャリアとして、英語講師になるという、ひとつの選択肢が頭にあったからでした。
留学後、何を職業としたいのか、当時は漠然としていました。一般教養科目に強いアーラム大学を選んだのも、将来進みたい分野すら、特定できなかったからです。ただし、いくつか考えられる中で、英語を教える職業につく選択肢は確実にありました。
なので、実際に英語講師という職業を、生徒側からでなく、見てみたいと思ったのです。多少教えることも手助けさせてもらいながら、先生方と時間や考えを共有することで、職業像も見えてくるかと思ったわけです。
長くなってしまいましたが、そんなような理由から、毎日学校へボランティア的に仕事をしていた中、父の会社が倒産したのです。
はたしてどうするか。いずれにしても、問題は、チャンスなりと考えて、前向きに考えようと思いました。
実はこの、「問題を言い訳にしない。問題はチャンスと考えて前進しよう。」という精神は、松本でしつこいくらいに、3年間教わってきたことでした。
なので、本当に落ち込むことはなかったのですが、とうぜん、物凄く、追い詰められた気がしました。
自問自答を繰り返していくうちに、確かな声が自分から聞こえてきました。追い詰められたからこそ、明確な結論がでたのです。
続きますね。。。(明日夜からは、那須でブログ書きます)
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英語をモノにする心構え51(お金?本気?私編)
Date. 2011.07.24 / Category.
英語をモノにする心構え英語上達への秘訣
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<「英語をモノにする心構え」ついに51回目となりましたね。1回目から読んで頂くにはこちらをクリックして下さい。>
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日本の大学に進学する代わりに、東京松本英語専門学校の昼間部に入学したのは、留学を目指したためでした。そして、望んだ通り留学も叶うはずでした。
一般教養がしっかりと学べる小さな大学を希望したところ、当時教務部長だったジョン・ストローマン先生が母校を勧めてくれたのです。
それはリベラルアーツ(一般教養)分野で、全米トップ10にランクされていた、インディアナ州にあるアーラム大学 (Earlham College) でした。
ちなみに、ストローマン先生は、アーラム大学卒業後、ボストン大学院で教育学、そしてハーバード大学院で言語学を専攻、そして松本の教務部長に就任されていました。
また、最初に覚えさせられた松本先生の教材、このブログでも何度か登場しているThe Visitor で、Kenji Shima 役の声も録音していました。
この教材の暗唱発音チェックを、ストローマン先生から週1回30分間、徹底的に約1年間に渡り、個人指導してもらえたのですが、それが今の私の宝となっています。
また、学園祭のときには、アメリカ史上最高のロングランで知られる、オフブロードウェイミュージカル「ザ・ファンタスティックス」のフルバージョンを指導してくれました。その時は若い二人の縁を結ぼうとする、親役で共演もさせてもらい、その写真がこちらです。

(はい。写真左は20才の時の私ですよ。)
本当にいろいろお世話になった、ストローマン先生からの強力な推薦状も頂けて、アーラム大学から入学許可がおりたのでした。
新入生用の特別トレーニングプログラムもあり、そのため、私は8月初めから留学をするつもりでいました。
ところが、喜びもつかぬまに、やはり恐れていたことが起きたのでした。。。。
父の会社が倒産したのです。ただ正直なところ、ショックでもありませんでした。すでに想定内だったのでしょうね。留学費用は、何とか出すと言ってくれてはいたものの、私は実は状況的に、あまり期待していませんでした。
そうなれば、そうなれだと思っていたのです。自分で留学費用を作ればいいのだと。
ナイトスクールのために、毎月7千円の学費を作ることを決心したことをきっかけに、「お金の問題があるから、学べない」などと諦める気持ちや、不安から解放されていたのでした。
ただ、もちろん、留学費用は貯めてからでないと、留学できません。貯金するのは時間がかかるのも、覚悟のうちでした。
なので、一層のこと、新たな事にチャレンジしてみようと決意しました。やはり、自分が人生を賭けるのは、これしかないと決意したのです。
続く。
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英語をモノにする心構え50(お金?本気?私編)
Date. 2011.07.23 / Category.
英語をモノにする心構え英語上達への秘訣
宇津井健さん主演の「ザ・ガードマン」ご存知ですか。私は幼少のころ、憧れて見ていました。
松本の昼間部の学費を作るために、私が警備会社でバイトを始めたのは1980年ですから、31年前になります。当時は、鶴田浩二、水谷豊、桃井かおりさん主演の「男たちの旅路」なども放映されていて、私の好きな番組でしたね。
なんて、実は全く関係ない話でした。テレビ番組に感化されたわけでは全くないのです。また、ドラマティックな体験をしたくて、警備員になったわけでもありませんでした。
単純に、英語が学習できる環境を保ちながら、しっかりと学費を稼ぎたかったのです。思いついたのが夜間警備で、私にとっては本当に最高の仕事でした。
何しろ申し訳ないくらい、英語を勉強しながら、お金がもらえたのです。一晩勉強したら、1万円なんて、当時夢のようでした。
業務内容は、2時間に1回くらい、店内と店外を巡回することでした。あとは早朝に商品の搬入がある時は、門を開けることくらいだったのです。
確かお店が閉まるのは、7時くらいだったかと思います。その1時間くらい前に入り、朝8時くらいまでが勤務時間でした。
だいたい普通は夜9時くらいには、スタッフも帰宅して、それからは私ひとりになれたのです。店舗の階段下にあった、小さなスタッフ用休憩室が、警備室の代わりとして使われていました。
はい、誰もいなくなった後は、そこが私の勉強部屋になったのです。心の中では、スタッフの方達には、なるべく早く帰宅してもらいたいと、毎回思っていました(笑)。
休憩室にはテレビもなく、あったのは、小さなキッチンとテーブルだけです。ある意味、あまりに寂しく、勉強することで気もまぎれたのです。
焼肉店でのバイト以上に、英語のテープも、聞きたいだけ聞けました。そして何より良かったのが、大きな声を出せたことです。
店の隣は、246号線が通っているだけでした。休憩室は、勿論の事、巡回する時も大声を出しても、誰の迷惑にもなりません。
特に店内や駐車場では、声が独特の反響をするので、ケネディやキング牧師の演説を練習するには恰好の場所でもありました。
また天気が悪い夜などは、雨や風が外を叩き付ける音が不気味に聞こえて、ちょっと怖さも感じたのですが、そんな時も大声で練習することで恐怖心が克服できました。
巡回時間の合間は、折り畳みのベッドで仮眠もとれたので、寝ようと思えば睡眠時間もたくさんとれました。
また、家が近かったので、時折、母が夜食の差し入れをしにきてくれたりもしました。学校に行く前にシャワーも浴びたり、朝食をとることも、普通にできたのです。
松本の昼間部2年生の時は、生徒会長にもなり、学校のイベントや打ち合わせなどで、放課後残ることも多くありました。そういう時は、夜警に間に合わないので、焼肉屋さんでバイトを続けさせてもらったのです。
いずれにしても、学校に行けば、日本語厳禁、英語オンリーの環境でしたから、そんな生活を送っていると、英語ばかりに触れている事ができたのです。
ファーストフード店でそのまま働いていたり、新聞奨学生になっていたら、とてもそのような環境は望めなかったわけです。
私はラッキーで、恵まれた環境にいたこともあると思います。しかし、あくまで、英語学習のための学費作りであるという、根本的なポイントをずらさなかったから、そのような仕事とも巡りあったと考えています。
さて、そうこうしている内に、松本も卒業する日を迎えました。一番に志望していた米国の大学からも入学許可がおりて、留学の夢も叶った、、、つもりでいました。
ところが、またちょっとした試練がまっていました。これまたお金の問題、いや問題ではなく、「お金という問題を通して英語や人生を学ぶチャンス」がまた訪れたのです。
続きます。。。
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英語をモノにする心構え49(お金?本気?私編)
Date. 2011.07.21 / Category.
英語をモノにする心構え英語上達への秘訣
父は、大学の授業料なら工面してくれるといってくれていました。留学をするのなら、それも、何とかサポートしようと。ただ、私がまず選んだのは専門学校だったのです。
専門学校に出せる余裕は無いと言われました。なので、将来の留学費用を残しておいてもらうためにも、松本の費用は自分で出すことを決意しました。
しかし、昼間部の授業料はナイトスクールと桁が違いました。
入学金、施設維持費、海外研修合宿費等も全て含めると、2年間で200万円以上の学費が必要だったのです。
とても焼肉屋のバイトでは、まかなえなるわけもなく、ある決意を必要としていました。
それは、新聞奨学生になることだったのです。そうすれば、まず入学金はじめ、最初に必要な額も全て調達されたのです。
その代りに3年間に渡り、住み込みで、朝夕の新聞を配る必要があったのです。
さて、皆さん、結局私はどうしたと思いますか?
はい。まず、新聞販売店をまわり、雰囲気のよさそうなお店を見つけました。そして、そこで勤めることまで決まったのです。
正直、あまり細かいことは覚えていないのですが、販売店の店主の方と、居間で面接をしたシーンは目に残っています。私の傍らでは、やはり新聞奨学生でしょうか。幾人もの若者が、忙しそうに何か新聞に織りこんでいました。
私としては、覚悟を決めていたものの、今一腑に落ちない気持ちで一杯でした。
あきらかに、過酷な労働環境だと思いましたし、英語を思うように学習していける確信が持てなかったのです。
夕刊を配るためには、学校も毎日、早めに終えなければいけません。放課後のアクティビティはもとより、午後の最後の授業が出れない日なども出てきます。
そのために、新聞奨学生は、2年制のコースを3年間で終了することが出来たのですが、今一、自分自身で納得できない部分があったのです。何しろ、徹底的に勉強をするために、留学を先送りにしたのですから。
販売店主の方と面接をして、勤務の許可をもらったその晩、私の気持ちを正直に、両親に明かしました。両親も私の話をよく聞いてくれて、結果、入学金他、最初に必要な費用だけは、父が用意してくれることになったのです。
早速、お店にはお断りの連絡をしました。なので、新聞配達は1日もせずに終わったのです。
代わりにバイト先として目につけたものが、私にはありました。「これなら、英語と仕事と両立できるのではないか?」と思ったものが、あったのです。
それは、警備員になることでした。実は、警備員は警備員でも、夜勤の警備員に目をつけたのです。
それも大変そうに思われますか。
いえ、楽だったのです。一晩、寝れば1万円もらえたのですね。
何か怪しい書き方になってしまいましたが、当時、夜の警備を担当すると、路上であろうと、室内であろうと1万円が相場でした。
私の探したのは、室内で一人で警備を受け持つ場所、そして仮眠をとることも許される場所だったのです。
それも、さらに出来れば、学校か家の近くがいいと、片っ端から警備会社で求人が出ている所に、連絡を入れていったのです。
探せばあるものなのですね。Where there's a will, there's a way. 意志あるところに道ありですよね。
諦めずに探して行った結果、理想の勤務地が見つかったのです。家の近くにあったのです。
そこは、日曜大工品などを扱っていた大型ホームセンター、ドイト青葉台店でした。
Do it yourself の最初2文字をくっつけて、Doit ドイトと読んだのですね。何と大胆な(笑)。
そこで私は2年間寝泊りしながら、特に、、、、演説力を磨いたのでした!
どう関係するのですかって??、、はい、続きます。
(余談:今、写真でも入れようかと、検索したのですが、どうやら青葉台店は無くなってしまったようですね。しかも、今はドンキホーテグループとなっていることに少し驚きました。)
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英語をモノにする心構え48(お金?本気?私編)
Date. 2011.07.20 / Category.
英語をモノにする心構え英語上達への秘訣
問題をチャンスと捉えて、積極的な行動に出て行くことが、英語をモノにしていくためにも、一番大切なことです。
ある意味で、「たかが英語」です。英語学習の前に立ちはだかる問題など、「たかが知れている」のです。
不安や心配もあるでしょうが、勇気を持って、足を前に踏み出すと、意外と楽しく、問題も解決していけるものです。
しかし、comfort zone から出た世界で、追い風を受けられるのか、はたまた、逆風を受けるのか、これも心構え次第だといえます。
たとえて言うならば、comfort zone から出た世界の中にも、追い風が吹いている場所もあれば、逆風が吹いている場所もあるということでしょうか。
そして追い風が吹く場所に、自分を導びけるか否かは、自分のアンテナに懸かっています。
言い換えれば、comfort zone から出た、そもそもの目的を見失わないこと。ブレない心を持つことが、アンテナに必要なことだと考えます。
そのようなアンテナに従って行動をしていくと、自然とチャンスにもめぐり合い、そしてチャンスを捉えることも可能になります。
大切な人や物、そして場との出会いや、縁にも気づき、そして活かしていくことが出来るのです。そう、追い風を受けていくことが出来るのです。
感度の悪いアンテナでは、チャンスをチャンスとも気づかず、逃していくばかりか、逆に悪運をつかんでいってしまうかもしれません。
ですから、しっかりとしたアンテナを持ち、さらに感度を磨いていくことは、絶対に必要なことですよね!!
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なにやら、抽象的な話で始めてしまって、すみません。具体的にしないといけませんよね。なので、私の事も例に出さなければ。。。
ということで、3日ぶりになりますが、私の話を再開しますね。
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まず、ここまでの話を振り返ります。英語をモノにするには、松本のナイトスクールしかないと決心した私でしたが、大きな問題の一つが授業料でした。
思い切って、森先生や親に相談をしてみると、期待以上のサポートも受けることができました。そして、バイトも開始したのです。
しかし、最初の玩具店は3日で、次のファーストフード店では2日で辞めました。それは、お金は作れても、英語をモノにするという、そもそもの目的にそぐわない環境だと、強く感じたからです。
だから、勇気を持って即時に辞めました。自分に良くないものに対しての判断は、早くできるに、越したことはありませんよね。いわば、悪い信号を私のアンテナは受信したので、即刻辞めたのです。それが良かったと思います。
その結果、自分の望むような環境のバイトとも出会えたからです。もしも、私の気持ちがブレていたとしたら、中野ご夫妻との出会いやサポートも無かったでしょう。
さてさて、そうこうしているうちに、全く思いもしていなかった展開が待っていたのでした。
それは、英語に関してでした。
自分の予測を遥かに超えるような楽しみも感じて、さらなる高い目標が出来たのです。
アメリカに留学をしよう!
日本の大学ではなく、アメリカの一流大学に進学しようという目標が、具体的に立てられる英語レベルになっていったのです。
ナイトスクールで1年勉強をした後に、留学をすることも当時可能でした。
しかし、私が決断したのは、もっと英語力と、留学そのものの目標を高めることでした。
ただ留学をすればいいわけではない。せっかくの機会を最高に活かすためにも、あせらずにしっかりと、自分自身をもう少し高めてから留学をすることにしたのです。
そして、そのために選んだのが、松本のデイスクールとよばれた、昼間の2年制専門学校コースでした。
そして、また再度、目の前に現れたのはお金の問題だったのです。。。続く
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