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井上ひさしさんは永遠に
Date. 2010.04.12 / Category.
英語プラスアルファ
井上ひさしさんが天に召された。昨日入ったニュースに一瞬目を疑いました。あんなにお若く、お元気そうだったのに。。。
最近は美優(妻)の仕事の関係で、こまつ座の公演によくお招きいただいていました。今年も2月22日新宿サザンシアターでの「シャンハイムーン」初日公演を堪能させて頂いたばかりでした。
私の世代は皆さんそうだと思いますが、「ひょっこりひょうたん島」の、あのお話の展開には毎日心をワクワクさせたものでした。小学校低学年のときにつけていた私の日記には、「ひょうたん島」のお話が溢れていました。
2年前の夏、那須の「山のシューレ」ではじめてひさし先生に直接お目にかかれた時に、先生の若々しさに驚き、またお話の内容の面白さや、広さ、深さにも仰天したものでした。
阿片戦争の話から、イラクやイランに絡めた天然資源問題、中国チベットや旧ソビエトなどの人種問題、ウルグアイラウンドにまつわる食料問題や経済問題、はたまた話は一転して先生の個人的エピソードを含んだ色恋話や失敗談また教育論、そして幼少の頃の逸話から、当時新たなプロジェクトへのつながり、などなどまさに盛りだくさん。
政治、歴史、文化、どれをとっても先生のとてつもない知識と人間に対する愛情と洞察力に溢れていらっしゃいました。
あの時の講演タイトルは「遅筆堂の地方学-ふるさと山形をみつめてー」。話題の全てが山形につながり、最後は今まで先生が読まれてきた本や資料を故郷に寄贈している理由と、また新たなプランに関してのお話になりました。
驚いた事には、書籍の寄贈数が、想像を絶するような22万5千冊に達したとか。そのため公立図書館にまた別の図書館ができてしまったそうです。
でも、まだまだ自宅には足場もないほど本が山積みされている状況。そこで、ある人のご好意により、さらなる保管場所として新たな図書館が、しかも劇場つきで誕生することになったというお話でした。
22万5千冊ってもの凄い想像を絶する数字です。50年間で割っても年間4500冊を読まなければ達成できません。1日に直すと、365日毎日休まずに12冊以上50年間読み続けている計算になるわけです!!
ひさし先生は、さらにそれ以上の本を読まれていたわけで、神がかった先生の知識は、まさに信じられないほどの読書量に裏づけされていたわけです。
さて、その年の12月26日、山形に出来た新施設「シベールアリーナ&遅筆堂文庫山形館」でのこまつ座初公演、しかも1日だけの特別な「太鼓たたいて笛ふいて」を見に行かせていただきました。
そして今となればそれは忘れられない思い出になりました。
大雪の日でした。ひさし先生や他の皆さんとご一緒に夜到着すると、そこはとても綺麗なショッピングモールかのよう。この施設こそ、ラスクで有名な麦工房の店主熊谷眞一さんが、こまつ座の公演に感激されて造られたということだったのです。
何といっても忘れられないのが上演終了後に行われたパーティです。熊谷さんに感謝の意を込めて、出演者の皆さんや裏方も含めた全スタッフ、また関係者の方々が参加されていました。
そしてその場の司会を務められたのがひさし先生だったのですが、その若々しかった事!ジーパン姿も良く似合いとても70歳を超えているようには見えませんでした。
部屋をまわりながら、私達招待客も含めて、参加者全員を紹介しながら場を盛り上げられていました。
主演の大竹しのぶさんはじめ、俳優の皆さんも大変なノリでした。共演者の神野三鈴さんのご主人で、日本が世界に誇るジャズピアニストの小曽根真さんもいらして、ピアノ演奏も始まりました。
小曽根さんの伴奏にも合わせて飲めや、歌えや、踊れやの大宴会。皆さんの素顔も伺えてとてもとても楽しい会でした。
私達はこどもが寝てしまったため、12時くらいにおいとましましたが、その後明け方の4時くらいまで、ひさし先生の司会の下に宴は続いたそうです!
少なくとも東京から同じスケジュールを体験して疲れを感じていた私には信じられないことでした。ひさし先生には若さでも全くかなわないと驚嘆させられたのです。
そんな先生が他界された。。。肺がんと闘病中なことは存じ上げていましたが、まさかこんなに急に。。。
実は最初にお会いした時、お元気ながらも、タバコを多く吸われている姿を見て、肺は大丈夫だろうかと少し心配にはなりました。健康を誇っていた私の父もタバコから肺がんになり73歳で死去していたからです。
肺がんは激痛を伴うらしく私の父はとても苦しそうでした。しかし、ひさし先生は眠るように安らかに息を引き取られたとの事を聞き少し安堵致しました。
井上ひさしという巨人は召天されました。しかし先生の想い、暖かさ、知恵の結晶は小説や戯曲として永遠に引き継がれていきます。先生の作品は、今後さらに世界での評価を受けるに値するものだと信じています。
ありがとうございました。
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TESOLでの感動的な再会(終)ーThank You
Date. 2010.04.11 / Category.
英語の教え方英語プラスアルファ
そうかなと思いましたが、私が話しかけた人はやはりアレイタス博士の息子さんでした。まだいろいろな人が博士と話している時に、"Daddy"と言って私も声をおかけするチャンスを作ってくれたのです。
車椅子に座り体の不自由そうな博士。となりに案内されて私はまずこのように会話を始めました。
"Dr. Alatis, I am so happy to see you here. I don't believe you remember me at all, but I went to Georgetown and got an MAT in TESOL."
すると、とても小さいかすれた声で、でも笑顔で"Oh, congratulations."と答えてくれました。
思い出していただけないだろうと思いつつも、私はこう続けました。 "It was about 20 years ago, and I also worked in the Japanese language department as an instructor, so you were once my boss."
日本語学科は言語学部に属していたので、少しユーモアを込めてこのように言ったのです。"Is that so?"と相槌を打たれながら、博士は私が誰だか思い出そうするかのように、私の顔をのぞきこんまれました。
そこで私は、"And you know what? I still can't believe this but you were once my classmate too. You were in my first class at Georgetown."と言いました。するとその時です!
博士は、にっこりと微笑んだかと思ったら、"Summer Program!"と言って私の手を握られました。
もの凄く嬉しかったです。やはり学生と方を並べて授業に出たのは、博士にしてもすぐに思い出せるくらい、特別な体験だったんだなと感じました。

そして、私があの時に博士からとても貴重な学ぶ姿勢や、人に接する態度を学んだ事を感謝を込めてお話することができました。
さらに最終日の夜に開かれたパーティでも、忘れられない思い出ができました。

会場内に、ご家族でテーブルを囲み食事をしている博士の姿がありました。そしてやはりたくさんの人達が、博士に挨拶されていたのです。
私はまず息子さんにご挨拶をしました。すると彼の声は、博士以上に小さなかすれていました。大会中、ずっと父親に付き添いながら、恐らく何千という人達と話ていたからでしょう。
しゃがれた小さな声で私が聞いたのは、、、
「実は、父の病状はとても悪くなっている。いつどうなるかもわからない。そしてもしその日がきてしまった時、お悔やみの言葉は欲しくない。そうではなくて、感謝の言葉を集めて本にしたい。父を感謝してくれている人達の声を父に届けたい。だからあなたにも連絡するときは宜しくお願いしたい。」
そういうと彼は、わざわざ椅子を他からとってきて、博士の隣に私の席を設けてくれたのです。
85歳になっていた博士は、明らかに体が弱っていてお辛そうでした。しかし博士に話しかけてくる他の人達の幸せのほうを気にされていました。
私にも繰り返し、"I hope we didn't harm you." とおっしゃったのです。
これは「ジョージタウンにいたことが君の人生にとって少しでも役に立っていればいいのだが」ということを、博士らしい相手に敬意を払ったへりくだった、しかも少しウィットに富んだ言い方だと私は解釈しました。
そして私が現在どうしているかを気にかけてくれ、説明すると「素晴らしい。それは良かった。」と嬉しそうに聞いてくれました。
博士と何十年も苦楽をともにしていらした方達が大勢いらっしゃる中、長い間隣の席にいることに私は恐縮して感謝の言葉をもう一度述べて立ち上がりました。
すると博士は握手をしてこうおっしゃってくれたのです。
"I was really happy to see you again. Thank you. It was very kind of you to come and talk to me, MAKOTO."
"MAKOTO"と私の名前を最後に言ってくれたのです。まさか名前まで思い出してくれたのだろうか?と一瞬本当に驚きました。
実は私の名前は言ってなかったからです。顔を思い出してくれただけで十分すぎるほど嬉しかったので。
もしかしたら、名刺を渡してある息子さんが伝えてくれていたのか。
いや、おそらくそうではなく、首からぶら下げているネームプレートを読まれたのだろうとも思いました。でも一度もプレートのほうを見たような気配はありませんでしたが。
真実はわかりません。でも、あまりに博士特有のあの親しみをこめた、あの懐かしい抑揚で "MAKOTO" と言ってくれた時、22年前の夏学期での博士との思い出が瞬時に蘇ってきたのでした。
本当に貴重な出会いと体験をさせていただいたこと、改めて感謝の気持ちで一杯になりながら。そしてこのような再会をさせてもらえただけでも、今回ボストンまで行って良かったと思えたのでした。
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TESOLでの感動的な再会ー車椅子の博士
Date. 2010.04.08 / Category.
英語の教え方英語プラスアルファ
TESOL協会の初代会長であったアレイタス博士、俗っぽく日本的に説明すると、なにやら水戸黄門様との出逢いのようでした。最後まで「ただのおじいさん学生」かのように振舞われていたので。
前回から6日も空いてしまいましたが、お話を続けます。
私がジョージタウンに行ったのは、語学教育法を学ぶのなら一番いいと皆が口を揃えて推奨していたからでした。この分野での大学ランキングを見ても当時は圧倒的な1位。
あとで分ったのは、それもこれもアレイタス博士がジョージタウン一筋で、大学の言語学部長として活躍させていたからこそのことでした。
夏期学期中は毎日クラスでご一緒出来ていたものの、お忙しそうな博士とその後は挨拶程度で特に直接お話の機会を持つ事はありませんでした。
卒業後も、時折学会でお見受けしたものの、常にいろいろな人達に囲まれて談笑されている博士でしたから、ご挨拶すらできないでいました。
そしてあれから20年以上も経った今、先月末のTESOL大会にてとても感動的な体験をさせて頂いたのです。
大会2日目の朝にあったアレイタス博士の功績にちなんで設けられたJames E. Alatis Plenary講演会でのことでした。
講演の内容は「TESOLの過去・現在・未来」。講演者の一人は今や言語学会で世界的な権威のデビット・ニューナン博士でした。
そしてニューナン博士が45年前の発足当時の話をした時、アレイタス博士の名前を出して会場の最前列を指差したのです。
いらっしゃっているんだ。まだお元気で。と嬉しくなりました。
なにしろ会場には何千人もの人がいます。前回参加した一昨年ニューヨークの大会では、講演会でもアレイタス博士のお姿を見つける事はできなかったのです。
指差された前方を見ると、どうやらひとり車椅子に座っているような影が目に入りました。
車椅子。。。とても気になり講演が終わるとすぐに近寄ってみました。そしてやはり車椅子には、あの懐かしいアレイタス博士がやはり沢山の人達に囲まれていました。
もう私のことを覚えていらっしゃる訳もなく、遠目からお写真だけを撮ってその場を去ろうとしました。

あいかわらず、おしゃれでダンディなアレイタス博士ではありましたが、笑顔の奥に明らかに病魔と闘っているような様が見受けられました。
「先生から沢山の事を学びました」と一言だけでも言いたい。そうでないと一生後悔する気がして、思い切って博士の世話をされていた男性に少し事情を説明させていただきました。
すると彼は人垣を割り博士に歩み寄りると、"Daddy, there's someone I want you to meet."と言って場を作ってくれたのです。。。
(次回、いよいよ再会のシーンを再現します)
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TESOLでの感動的な再会ー尊敬する理由
Date. 2010.04.02 / Category.
英語の教え方英語プラスアルファ
TESOLの創設者でもあられるJames. E. Alatis博士との22年前にあった最初の出会いと私の大きな勘違いを昨日書きました。
先週の感動的な再会話をする前に、今日はもう少し昔の誤解話を続けます。
夏学期が終わるまでずっと、2ヶ月くらいもの間、私は誤解していたのです。
でも、それなりに理由もあるのです。
なにしろ博士はクラスには欠かさず出席されていました。教室の後ろに座って見学するかのようではなく、講師のまん前、最前列に座っていたのです。
質問に一番先に手を上げて答えていたり、自らも沢山質問をクラスで講師にしながら。
そして講師のほうも、遠慮するそぶりなど全く見せずに普通に対応していたのです。
なので正体が私に分るわけがありません。
そもそも何ゆえに、博士がクラスに通っていたのか。
その時、クラスメートから答えを聞き驚きました。
それは、こういうことだったのです。
アレイタス博士は、秋の学期から久しぶりに言語習得講座を担当することに。なので最新情報も含めて頭を整理しようと、夏学期の講座参加を決意されたとの事だったのです。
これには参りました。
学会から離れていたならまだしも、その分野の現役の中心人物でいらっしゃいました。にもかかわらず講義を久しぶりに担当するからといって、勉強しなおすことだけでも尊敬にあたることです。
ましてや、わざわざクラスを受講することなど普通は考えられない事です。
しかも、全てのクラスに遅刻もせず出席をされたのです。
そしてそのクラス態度は、あたかも初めて学んでいる生徒かのように積極的で熱心。
うーん。文化的な大きな違いも感じました。
日本でならば、ありえない話ですから。
学会のいわゆる『重鎮人物』が、久しぶりに講座を持つために勉強しなおすと、一般の学生と肩を並べて授業にでるでしょうか?しかも講師のまん前の席に座って、積極的に質問したり答えたり。
ありえないことですが、もし万が一、受講でもすれば、教える講師の方が困ってしまうでしょう。
ところが私の見た光景は、博士よりも半分の年齢にしかいっていないような女性助教授が、あたかも普通の生徒に対するように授業していたのです。
このように、文化の違いは大きいなと感じると同時に、アレイタス博士のお人柄にも尊敬の念を抱きました。
どんな年齢の相手にも、どんなバックグラウンドを持つ人でも、いつもフレンドリーでかつ謙虚な態度で接しているあの姿に。
はじめは、ただの元気のいいおじいさんだと思っていた私ですから、お恥ずかしいお話ではありますが。
とにかく、あれ以来少しでも見習わなければと、心がけだけは保つようにしてはいますが、とてもとても。。。
さて、出会いの部分のお話だけでこんなに長くなってしまいましたが、先週のTESOLでは、本当に一生忘れられない感動的な再会をさせていただきました。
いよいよそのお話は、また今度。
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TESOLでの感動的な再会ー最初の出会い
Date. 2010.04.01 / Category.
英語の教え方英語プラスアルファ
気がつけば、さきほど夜中の12時をまわり日付が変更。4月1日になってしまいました。そうエイプリルフールの日なのですが、今から書くのは本当に嘘のような本当の話です。
ややこしいですね。ごめんなさい。本当の本当の話なのです。たまたま4月1日に記事アップとなってしまいましたが。
先週ボストンまで行っていた大きな目的は人との出会いだとお話しましたが、その中でも一生忘れられないことがありました。
それだけでも今回TESOL大会に参加して良かったと心から思えることだったのです。
少しづつお話していきます。
まずここでいうTESOLはTeachers of English to Speakers of Other Languagesの略で、母国語が英語でない人を教えている英語教師の連盟です。
いくつかの試みのもとに1966年に米国で発足されて、現在は世界規模に発展して、1万2千人以上の会員がいます。(日本の会員は今年2月の時点で約450人)
さて、その創立者のひとりであり初代会長(Executive Director)を務められたのがJames E. Alatis博士です。
毎年博士の名前でTESOL賞が贈られたり、年次大会でもJames E. Alatis Plenaryと銘打った全員出席する講演会が開かれています。
さてさて、ここからが信じられない話の始まりなのですが、Alatis博士は実は私のクラスメートだったことがあるのです。はい、言語学のクラスで本当に。
あれは1988年の夏学期でした。
ジョージタウン大学院で私が最初に受けた言語習得理論(Language Acquisition) 講座に博士が講師としてではなく、生徒としていたのです。
実はこのことはあとで分ったことなのですが。。。私はある事情から1日遅れての受講開始となったので知らなかったのです。
今でもハッキリ覚えています。
初めての学校、初めてのクラス、どんな講師と生徒がいるのか少しドキドキしながらクラスに向かい、1日遅れた私だけ自己紹介させられてクラスは開始しました。
すると、クラスの一番前、講師のまん前に座って一人元気良く、いろいろな発言をしている『おじいさん』がいたのです。
アメリカの大学院には、結構年配の人が来ているのは知っていましたが、「元気よすぎ」と思うくらい活発に、時には発言を訂正されても「ひるまずに頑張っているな」なんて思って見ていました。
クラスが終了すると私のところにきて、日本のどこから来たのかとか質問ぜめ。
「いやー、このおじいさんに話しても、そんなに日本の細かいこと分らないだろう」とか思いながら、半ば適当に答えていた自分がいました。
大変失礼なことをしたと後で大反省。
そう、その『ただのおじいさん』だと思った人がAlatis(アレイタス)博士だったのです。
不勉強だった私はそのことを何と学期終了の最後の最後まで気がつかないでいました。
最終日の試験日に、あの元気なジムおじいさん(アレイタス博士のファーストネーム)が教室に現れないのです。
不思議に思った私はクラスメートに「ジムはどうしたんだろう」と聞いたのです。
すると「今日は来ないわよ。試験は受ける必要はないもの。言語学部部長なんだから」と言われて初めて事の真相を知ったのです。
ガ―ン!!これって何て凄いことなんだろうと感服させられました。
。。。この話、長くなるので明日に続けますね。
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