----------------------------------------------------------------------------------- 月曜日更新担当、国際人道支援組織ジャパン・プラットフォーム(JPF)からの
受講生チーム"Beyond the Border"より
受講生・板倉さんの更新です!
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※KAPLANと国際人道支援組織JPFは、連携プロジェクトとして日本の情報発信力UP!「国際人道支援における英語力強化プロジェクト」 を行っております。
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中国に引き続き、6月に15日間の日程でスーダンに出張しました。 田口さんの前振りから、今回はスーダンについて触れますが、まずは、私とスーダンのつながりについてお話します。次回、南部スーダン出張記としたいと思います。
私にとってのスーダンは「第二の祖国」と呼んでもいいくらい特別な国です。 私とスーダンの関わりは、この国を初めて訪問した2001年にさかのぼります。当時の私の研究テーマは、スーダン北部の住居や住まい方の調査研究を通じて、最終的には乾燥地域における環境適応型モデルの提案をしたいというものでした。修士論文では、住居と集落の空間構成を見出し、住まいや集落を記録するにとどまりましたが、延べ6ヶ月に及ぶ現地調査の経験は、スーダンの人々の生活を理解するのに今でも役立っております。
私が2001年2月に初めてスーダンに行くことになった時、この国に関する情報は皆無に等しい状況でした。日本でのスーダン研究といえば、京大の文化人類学者栗本先生が南部の部族について、社会人類学の分野で都立大(当時)の大塚先生が、北部のイスラームについて研究をされている程度でした。しかも、1992年に人道支援以外の日本の援助がすべて停止して以来、スーダン国内での調査をしている研究者や、当時の様子を知らせる現地情報がまったく存在せず、スーダンというと内戦に明け暮れる危険な国というイメージしか持たれていませんでした。
私も、初めてスーダンへひとり出発したときは、本当に心配で心細かったのを覚えています。内戦をやっている'どんな悪い国なんだろう'と、成田空港で友人からのメールで弱音を吐いたときに、「これから自分が好きなことが出来るのだから、頑張って!」といった内容の返信があり、嬉しくて今でも思い出します。
しかし、スーダンに到着してからの生活は、出発前のこうした不安を完全にかき消してくれました。というのは、スーダン人の家庭で生活を共にする中で、様々な人々に助けられながら研究をすることが出来たからです。また、スーダン人との日常の交流を通じて、国際社会からの支援が停止していた厳しい時期を必死に生きているスーダン人の苦悩や優しさ、気質も知ることが出来ました。さらに、広大な国土、そこを悠々と流れるナイル河、猛烈な熱帯性気候など、この国の持っている潜在的な可能性にどんどん惹かれていきました。
この時の調査でお世話になったスーダン人の家族やお友達、そこで出会った世界各国の友人たちは、今でも大切な存在です。今回の南部スーダンへの出張で、7年ぶりに友人と再会することが出来ました。とても立派になり、結婚してかわいい男の子もおり、政府機関で働いておりました。当時では、聞けなかった話(これまでの生活やSPLA(スーダン人民解放軍)にいたこと、大学へ進学した経緯)を聞き、改めて彼の強さと戦争の醜さを再確認しました。
数年ぶりのスーダン訪問は、驚きと興奮であっという間に過ぎてしまいました。 これまでの研究を活かし、スーダンにどっぷりと浸かり、長い戦争で疲弊した人々の生活を再建するために自分には何ができるかを、これから考えていきたいと思っています。
▼南部スーダンの首都JUBA▼
▼砂漠だけではない、豊かな大地をもつ南部スーダン▼
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▼▽▼▼【受講生】板倉さんのバックナンバー━━━━━━━━
・【三国志から学ぶ人道支援】2009.06.08 (Mon)
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Posted By: 板倉 純子 on July 13, 2009


